今回は、「すみじい堆肥」と「すみじい野菜」について
少し、突っ込んで書いてみたい。したがって、長いので、覚悟しおいて欲しい。
と言っても、すみじいさんから聞いた話を元に、
私、小出正幸が理解できる範囲の話、でしかないことをお断りしておく。
まず、「すみじい堆肥」
自然木の荒い粉砕チップと野菜くず、に特殊な菌を加え基本的には嫌気醗酵させて作る堆肥である。
最高温度が60度までの低温醗酵で在る事が、嫌気醗酵を物語っている。
(堆肥は、大雑把に分けて、好気堆肥と嫌気堆肥に分けられる。多くは好気堆肥である。)
ただ、地域にはその地域に住み着いた「土着菌」と言うものが居ます。これが堆肥にも入り込み、混然一体となって、有機物を分解していきます。
自然の素晴らしさであり、堆肥作り農家の腕の見せ所でも在ります。
作り方を失敗すると、「腐れ堆肥」と言い、本当にゴミの山になります。
良質な堆肥を作れない、名ばかりの農家が「堆肥は臭くて」などと平気で口にします。
毒をぶっかけているのに「消毒」してると言うのと大差無いですね。
炭素(木やワラや炭など)と窒素(人糞・家畜糞・家庭有機ゴミや畑の残さなど)に一定の水分が加わると醗酵を始めます。どんな醗酵経過をたどっても最後は無機物となり土に帰ります。
問題は、どのような経過を辿らせるかだと、思うのです。
ここが、先ほど書いた「堆肥作り農家の、腕の見せ所」ですね。
其の無機物を、根から吸い上げ光合成の力を借りて、植物は自分を育て、
それを食って動物は(人も家畜も)育ち、糞をしいずれ、自身も死んで、
今度はそれらを食う、分解する微生物が出てくる訳です。
これが、「循環の輪」です。
循環の輪がきちんと出来ている畑は、まさしく生きています。
生きている土なればこそ、生きた作物が採れます。
植物の根は「栄養素」を吸い上げている訳ではない、命そのものを吸い上げているのだ。
僕はそう思うのです。
きちんとした命を内に含んでいればこそ、作物は「おいしい」のだ。