四季が、うりゃっ
山菜と言うと春、 キノコと言えば秋、と思われがっちですが、
いやいやどうして、両方とも四季折々に、楽しめます。
今回は、お馴染みの ウドです。(7月4日撮影)
春には春の、夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬の、
山の味わいと云うものが在りましょう。知ってる人は、知っています。
世間の常識が、「知の根本」で在る人は、見えるものも、そうさ、見えないよね。
言葉と引き換えに、六つ目の感性を失ってしまった人たち。
でも、山はその喪失を、金利(リカード)まで付けて戻してくれます。
四季を通じて、山に入る訳が其処に在ります。
「理屈なんて、要らないんだ。」
自然や、山の、「ことだま」に、気持ち癒され、命を頂きます。
彼女は僕の肩にそっと手を置き、
「それでいいのよ」と、僕の存在を 「
肯定」してくれます。
これが、 至福の時 ですね。
そうだよ、山菜もキノコも「糧物」なのですね。
グルメと言う言葉の、なんと羽のように軽い はかなさ。
糧物と言う、人の暮らしに立脚する骨に響く、 そうだね、「重さ。」!
たぶん、そうだ。僕を含め、
人は、なにも知りはしないのだ。
そうだ、知りはしなくても、常識の中で生きる事の妨げに為る訳じゃない。
そして、多くの人は「それで充分さ。」と、諦めるのだろう。
そうだろう、その、「諦め」が たぶん、普通に生きると云う、証しなのだろう。
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