イマジン「想ってごらん」
貼られた付箋、汲み取ろうとした、願いの、証しです。
第一次世界大戦、其の少し前。ドイツで、
フリッツ・ハーバーは、空気の中の窒素をアンモニアの形で、取り出した。
これが、何を意味するか。
総体の中の、関連づけられた一部分として、その「匂い」を、嗅ぎ取って欲しい。
硝石の輸入が途絶えても、火薬の製造が出来た事。
世界初の大量殺人兵器、毒ガスが作られ、・・・まさに、使用された事。
戦後、多くの人の命を、科学肥料と言う名で、救い上げた、事実。
歴史は映画では無いのだね。ストップ・モーションで逃げる訳にはいかないのさ。
感動と共に終わる
、「カン・バック・シェーン!」
現実は、綺麗にそこで、終わりはしない。ウンザリする時間が、取りこぼされる。
生活だよ。綺麗事ではすまぬ、そいつが、生きるって事なのかな?
つまり、今回は「ちょっと、重たい」話だ。
その後の事情を、スタイン・ベックは
「怒りの葡萄」で書いたのだね。
オクラホマの砂漠化、カリホルニアに向かっての大移動。
「おいらは、上手く言えねえんだ、ジョードさん。傷つけたくは無いんだ。
それでも、おいらは言わなきゃ、なんねーぇんダよ。傷つける為に言う訳じゃねえんだ。
あんたたちは行くんだろ。俺は帰るんだ。俺の話を聞いても、あんたたちは行くのさ。
俺が、一年かけて知ったもの。其れは、!
息子を死なせ、娘を死なせ、女房を死なせ、やっと、気が付いたのさ。
俺が、必死に駆けずり回ったそいつは、給料の為なんかじゃ無いんだ。!
一握りの「小麦粉」と一さじの「バター」の、為なんだ!。
俺は、帰って行く所なんだ。産まれた土地に、・・・せめて、そこで死ぬために。」
こんな話は、現実の中に嫌になるほど、事実の重さを抱えて
、「転がって」いる。
でも、見えぬ振りさえしていれば、そうだよ!「人生」は「ハッピー」て訳だ。
そうだ。聞こえぬ振りさえすれば、・・・・・・。
そうだね、「人生」は「ハッピー」なのさ。
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