「取り扱い説迷書」訳ワカンネー
2009年09月12日

いつも、我々は、こう云う「取り扱い説明書」を、読まされているのです。
僕は、「iアプリ」について何も知らないから、それを知ろうとこの、
「取り扱い説明書」のこのページを開いたのです。
・・・・・御覧の通りです。これじゃ、「取り扱い説迷書」です。
読めば読むほど、訳ワカンネー。
ちなみに(ちあきなおみに)この携帯を買った店に行き、店員に確認しています。
「もしかりに貴女が、iアプリをまったく知らないとして、
貴方は、この「取り扱い説明書」のこの一文に納得出来るでしょうか?」
「・・・・・納得できません。・・・。すでに知っている事を、前提に書かれていると思います。
「取り扱い説明書」になっていないと、私も想います。本社に伝えたいと思います。」
そうして下さい。「取り扱い説明書」を書く人は、まず、「日本語」を勉強して下さい。
Posted by ぱーぷーぼうや at 20:55│Comments(2)
│どの話し
この記事へのコメント
「取り扱い説明書」略して『取説』は、使い方を
よく知っている人が確認のために読むものなのです。
携帯電話の使い方がわからない時は子供に聞くしか
有りません。
よく知っている人が確認のために読むものなのです。
携帯電話の使い方がわからない時は子供に聞くしか
有りません。
Posted by igoten at 2009年09月13日 10:42
でも、おいらは、テレビをつける事も出来ません。
640キロバイトのパソコンまでは、理解できました。ベーシックで2000行を超えるプログラムも作りました。
世間に自分を合わせるのか、
あるいは、自分を世間に合わせるのか。
僕は自分を、世間に合わせるなんて、
まっぴらごめんです。
この辺が、おいらは「まだまだ、子供」なのでしょう。
640キロバイトのパソコンまでは、理解できました。ベーシックで2000行を超えるプログラムも作りました。
世間に自分を合わせるのか、
あるいは、自分を世間に合わせるのか。
僕は自分を、世間に合わせるなんて、
まっぴらごめんです。
この辺が、おいらは「まだまだ、子供」なのでしょう。
Posted by ぱーぷーぼうや
at 2009年09月13日 20:02
