「会話」は、じつに多くの実りを返してくれる。
2009年12月14日

僕が何をしても どうしても、敵(かな)わなかった人物。僕の、実兄です。
僕は、このブログを書くにしても、人と話をするにしても、
とても時間がかかります。 その上、多くの人から分りずらいと指摘されます。
会話はとても大切な事だと思います。
出来れば、直接面付き合わせて話し込むのが、最良でしょう。
目を交わし、身ぶり手ぶりもそれを助け、ため息や沈黙さえ意味を持ちます。
ブログでは、しかし、お互いの顔が見えません。
その為、思わぬ誤解も時には有ります。したがって、
かなり言葉を選び、時間をかけて丁寧に書くよう、心がけています。
、必ず、いつもそうしている訳では有りませんが、基本的には心がけています。
、そう、時には・・・無理にタガを外す事も有ります。
会話とは、つまりは「言葉」のキャッチボールです。
出来れば、相手が受け取り易いボールを投げたい。当たり前でしょう。
ところが、数投げれば当然、「暴投」が混じります。
受ける側からすると、いつも胸元にボールが飛んで来る訳では有りません。
多少の暴投も受け取る、これも、努力や日々の訓練でしょう。
それでこそ、「会話」(言葉のキャッチボール)は、成り立つのではないでしょうか。
僕の言い回しの未熟さの、いい訳の為に書いているのでは無いのです。
会話と云うのは、双方の努力の上に、初めて成り立ちうるものだと云う事を書きたかっただけです。
そして、そうした「会話」は、じつに多くの実りを返してくれます。
Posted by ぱーぷーぼうや at 21:46│Comments(3)
│科学する
この記事へのコメント
ちょっとは努力したつもりです^^;
変化球ありでしたが。
文を読むより
おとんは会って話したほうが本当の良さがわかります。
たしかに・・・
変化球ありでしたが。
文を読むより
おとんは会って話したほうが本当の良さがわかります。
たしかに・・・
Posted by 北の魔女
at 2009年12月15日 00:02

正直わかりにくいって思ったこともあるが、
それは村上春樹を読んでても同じだから
大丈夫です。(笑)
長い間読んでるとその人の良さも分かってきます。
それは村上春樹を読んでても同じだから
大丈夫です。(笑)
長い間読んでるとその人の良さも分かってきます。
Posted by igoten at 2009年12月16日 19:25
北の魔女さん、igotenさん。
ありがとうございます。
このまま、ゆっくりと焦らず、
歩いて行きたいと思います。
前を向いて、
柔らかな「パキスターニャ」の様に。
ほんとに、 ありがとう。
ありがとうございます。
このまま、ゆっくりと焦らず、
歩いて行きたいと思います。
前を向いて、
柔らかな「パキスターニャ」の様に。
ほんとに、 ありがとう。
Posted by ぱーぷーぼうや
at 2009年12月16日 20:00
